室舘理事が代表を務めます株式会社キャリアコンサルティングの若手女性社員3名(大田裕子さん、西村聡子さん、土屋香織さん)から、「是非、支援活動に参加したい」との要望があり、急遽、5月4日、石巻市に行ってまいりました。
支援物資は、前回と同じく、石巻市の久我会長を通して二宮外科の二宮先生にお届けすることにし、午前7時、都内を出発。
今回は、物資運搬というより、被災地の現状をしっかり肌で感じてもらうことを主な目的としました。
協会からは理事長と事務局長、そして上記3名の合計5名、車両1台。支援物資は、必要と思われうものだけに絞り込み、リヤカー、お米、オムツなどを載せていきました。交通費ついては、株式会社キャリアコンサルティングの皆様からご支援をいただきました。
交通渋滞を避けるべG.W.の中日を選びましたが予測がおおはずれし、すでに東北道加須IC付近で大渋滞。石巻に近づいてきたので、海側に出ようと松島海岸ICで降りたら、またもや大渋滞(たった3kmを1時間)。
つい先日(4月30日)は全くがガラガラだった松島も、比較的被害が少なかったようで、観光船もお店も営業を再開しており、観光客でいっぱいでした。もちろん、ほとんどの店先はシャッターや窓が壊れており、完全に閉めているところも多数ありました。
松島を過ぎると交通量も減り、仙石線の東名駅、野蒜駅のあたりは、津波災害の痕跡は相変わらず大きく残ってました。4月15日に来たときは、全く手付かずだったこの地域も、ようやく自衛隊による捜索や瓦礫撤去作業が行われるようになりましたが、気の遠くなる風景です。
石巻港では、まだ通ってなかった海側の道路を回りました。ここには日本製紙(株)の製紙工場もあり、広大な敷地の工場はことごとく崩壊し、海水にのまれたロール状の原紙があたり一面。
しばらくすると津波のあと大火災が発生した門脇地区。
二宮外科に午後3時半到着。
前回お届けした物資も、地域の方に大変喜んでいただけたとのことで、ほとんどがなくなってました。
物資を下ろした後、久我会長のご自宅に行き、ご挨拶。津波当時やその後の様子をお話いただきました。
海辺の被害を見てきたとお伝えすると、「女川町が大変な被害を受けている」とのこと。、夕暮れまで少し時間があったので、隣町の女川町に向かいました。
震災の影響をもろにうけた石ノ森萬画館を通り、川向こうに渡ると、至る所で道路が水浸。
深いところでは20cmほどでしたでしょうか。
実は、震災による地盤沈下に大潮が重なり、ちょうど満潮の時間だったのであちこちが冠水してしまったのです。津波被害は免れた地域も、あとからこのような被害を受けているのでした。
まさにちょうどその時の記事がこちら↓↓
「浸水、やむなき水上生活 石巻・渡波地区 地盤沈下で常態化」 河北新報社
そして女川町。石巻市から入る山を越えると、ずいぶん高いところから被害状況が見えてきます。
そして町は、空爆にでもあったのかと思うような、、すべてが崩壊してました。
石巻に戻る頃は潮も引き、道路冠水もほとんどありませんでした。
帰りの東北道は、またもや大渋滞。郡山からは磐越・常磐道へと迂回して、午前1時、都内に到着。
映像では震災の状況をたくさん見ることはできますが、こうして現地で、見渡すかぎり、そして考えられない高さ、想像できない物が流され、壊され、ヘドロの悪臭、、津波の恐怖を身体全体で感じることも、平和ボケしている自分たちには必要なことで、とても意義あることかなと、改めて思う女川町視察でした。
帰ってからあらためて当時の津波の映像を見ましたが、、、以前とは全く違って、とても身近で恐怖感を感じる映像となってました。「怖い」と頭で思うことと身体が感じることは、全然違いますね。

2011-05-08

